長田眼科医院 院長 長田温(おさだあつし)4月 | 2016 | Dr.長田のきまぐれ日記|長田眼科医院|白内障、緑内障、硝子体手術|兵庫・新開地

熊本で震災が起きました。開業している私には、医師として活動することができません。もどかしくて悔しくて仕方がありません。福島、阪神、御嶽山、天災に限りがありません。しかし、天災はその規模の大小ではなくて、たとえ毎年の台風で被る被害等もふくめて、その犠牲者の悲しみや苦痛は全てに同等であると思います。万物は無常の中にあり、命はいつしか消える定めでもあります。地球であったとしても、その形を刻々と変えていきます。その過程で地震であり、津波であり、噴火であったりのおこる事は真理であります。しかし、そこに命の失われる事は、耐え難い事です。
医師は老、病、死に抗う事を、その使命としていますが、天災の前に医師は、どれ程か無力であり、人間としての存在の儚さや小ささを思いしらされます。
犠牲者の御家族の悲しみや苦しみが始まってしまう事に、私は耐え難い憤りをおぼえます。いくらここに行を重ねても、その気持ちは書き表すことはできません。
ただ、ただ、神仏に被害者の皆さまに限りない慈悲をお与え賜らん事を、私の全ての心をかけて祈ります。

糸車

人が生まれてから、運命の糸車は命の糸を紡いで回り始める。か細いその糸はやがて、経験という色に染められ、社会という機織りにかかって、夫々の錦に織りあがる。
その錦はどれも美しい。涙、汗、怒り、悦び、笑いに満ちた、人生の錦である。
人生を終える時、少なからずの人が各々の涙でその錦を濡らす。錦は正に気高くその涙で輝いて美しい。
万人は真に全き平等にして、美しき錦である。なん人たりとも必要のない命はない。
寝たきりなりとも、その意識のなくとも決して、必要のない命はない。
皆、共に自信を持って生きてみようではないか。
命の生まれる処に花は咲き、命の消える処に花は手向けられる。

長田眼科医院の院長・長田温の 日々、見たこと、感じたこと、 考えたことを綴ります。

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